森山浩志さんと話す(12)
 






久保田二郎(ジャズ評論家)
(5)参照
八木正生(p,comp.)
秋吉敏子渡米後のコージー・カルテットのピアニスト。後年は作曲家として活躍した。
原田寛治(ds)
モダンドラマーとして活躍した。
三保敬太郎(p,comp.)
50年代60年代に活躍。あこがれの人だった。
渡辺辰郎(as)
後述。







三保敬太郎さん
八木正生さん

渋谷 キングの久保田さんがやったレコードで持ってるのはね、スイングジャーナルのポール・ウイナーズ、A面が貞夫さんと宮沢昭さん、

森山 ピアノ、秋吉さん? ヤッチン?

渋谷 八木さん。ドラムが原田寛治さんかな。B面が三保敬太郎オールスターズ。それはメンバーが、猪俣さん、西条さん、…渡辺辰郎さんも入ってた。

森山 あ、ほんと。

渋谷 それ、すごくいいんですよ。ぼく、三保さんて大好きだった。すごい能力の人だったなと思うんだけどね。

森山 俺は面識がなかったから三保敬太郎はあまりリアリティーがないんだよね。

渋谷 八木さんもすばらしかったけど、八木さんはちょっとエキセントリックなピアノなんですよね。録音したのを聴いてみるとよくわかるんだけど。八城さんだったらスムーズじゃないですか。八木さんていうのはスムーズなところがない人で、でも、実際聴くとすごくよかった。ぼくは八木さんも好きだったし、三保さんも、両方好きだったなぁ。

森山 それはピアノだけじゃなくてアレンジも?

渋谷 うん。よく手伝いにいったんだけど、三保さんが売れっ子のときに。忙しいから、ちょっときて、って。

森山 ゴースト?

渋谷 ゴーストったって、三保さんは映画音楽一本、例えば20曲、あの人は一晩で20曲ぐらい書いちゃうんだからね、ぼくはそのうち3曲くらいしか書けないんだから話にならない。彼はもう17曲書いてるわけだからさ。

森山 1日で20曲っていったら前田さんの上いくね。

渋谷 うん。だから能力はすごいんですよ。要するにやる気が出ないだけの話で、あの人は。

森山 やっぱり締め切りとかないとだめなんだ。

渋谷 そう。ま、八木さんも締め切りが迫らないとやらない人だったけど三保さんほどじゃない。八木さんとこも何回か手伝い行ったけど。

森山 久保田二郎さんと俺が非常に親しい間柄であったってことは知ってるよね。だから死ぬまで、最期まで久保田さんとつき合ったのは、ジャズ関係者では、俺と五十嵐さんと、それから、

渋谷 沢田駿吾さん。

 
     
 






渡辺辰郎(as)

本文参照。


渡辺辰郎さん

森山
 そうそう、その3人しかいない。で、あの人はある日突然、目黒通り自転車で走っててハートアッタクでそのまま。で、その死ぬ半月ぐらい前に、それが最後になるとは思わなかったんだけど、彼と会って喫茶店でいろいろ話したときに、あんまりあの人はそういうことをいったことがないのに、いやー、俺ね、渡辺辰郎に会いたいんだよなぁって。

渋谷 あ、そうなの。

森山 うん。居所がわからないんだよなぁ。でもどうしても会いたいんだけど…スイングジャーナルでも調べさしたらいやーもうわからない…って。あれは博学の男で、どうのこうのでって。そんな話俺にしたのはじめてなのよ、あの人に会いたいみたいな。で、渡辺辰郎さんにどうしても会いたいっていってたの。だから結局会わずじまいで逝っちゃったんだけど。
 
 

貞夫さん=渡辺貞夫



モカンボ・セッション
清水潤(ds)の復帰祝いに行われた横浜モカンボでのジャムセッション。
渋谷 そのね、久保田さんがプロデュースしたその片面が、要するに久保田さんのイメージはさ、片面がイーストコースト、片面がウエストコーストって感じじゃない? それで、片面、貞夫さんでしょ、片面、辰郎さんじゃないですか。もう辰郎さんは完成されてる、貞夫さんはまだ…

森山 だって、守安祥太郎さんのさ、モカンボ・セッションのレコード残ってるじゃない? あれ聴いたって、ナベさんまだ未熟だもんね。あの頃のナベさんっていうのは。

渋谷 あれはね、守安さんに対抗できてるのは宮澤さんだけですよ。
 
 

与田輝夫(ts)
50年代60年代に活躍したベテラン。
松本文男(tp)
同じく50年代60年代に活躍したベテラン。
フランキーさん=フランキー堺(ds)
平野快次(b)
ベースよりもバンドリーダーとして記憶している。

森山 中学から高校の頃よくジャズコンサート行ったときに、辰郎さんていうのはシックス・レモンズだったんだよね。与田輝夫とシックス・レモンズで、与田さんのテナーと、松本文男さんのラッパと、辰郎さんのアルトで、タイコがフランキーさんだったよね。牛尾さんっていったかな、ピアノ。ベースは平野快次。確かそんなメンバーだった。で、その頃は俺わからないからさ、デキシーとスイングしか聴いてない頃だったから。で、渡辺辰郎さん、俺の印象に残ってるのは、ものすごいリードミスが多かったなぁっていうことしかないんだ。

渋谷 うん。

森山 だから、後年あの時期にリー・コニッツを徹底的にやった人があの人一人だっていうのを知ったんだよ。

渋谷 ぼくんとこに最後に電話かかってきたのが20年前くらいかなぁ。いや、20年経ってないなぁ、うん、17、8年前、電話かかってきて、いま新宿のクラブでやってるんだけど”、

森山 箱で?

渋谷 そう。今度曲を書くので写譜の人が必要なんで、誰か紹介してくれないかなぁ”って。それが最後だったけどね。

森山 あの人東京外語大学なんだってね。

渋谷 あ、そうなの。

 
     
 





海老原啓一郎(as)
50年代の第一人者。

17、8の頃

森山 久保田さんから聞いた。俺、あの頃、あの頃ってのは要するに昭和27、8年頃ね、よくジャズコンサートへ俺が足しげく行ってた頃の俺の印象では、その頃の大スターの一人が
海老原啓一郎さん。で、海老さんもリードミスが多かったんだよね、アドリブの最中にさ。いまのミュージシャンっていうか、もう数年前からそうだけど、あぁいうリードミスをするようなミュージシャンっていまはいないよね。

渋谷 いわれてみればそうだよね。昔は多かったよねぇ。

森山 でも、あの頃、松本英彦さんってのは、あんまりなかったよ、そういうリードミスっていうのは。俺の記憶の限り。

渋谷 松本さんとか宮澤さんは全然なかったですね。
 
  シックス・ジョーズ
そういう名の有名バンドがかってあった。
レイモンド・コンデ(cl)
大ベテランクラリネット奏者。フィリピン出身。
森山 …あの頃ねぇ、とにかくあの頃は必ず、ほら、緞帳がしまっててさ。で、プログラム見ると、次はシックス・ジョーズだとかさ、あのレイモンド・コンデのゲイ・セプテットとか、出番がわかるじゃない。そうすると、ひとつのバンドが終わって緞帳が降りてさ、次のバンドのドラムセットをコンコンコンって山台に打ちつける音が聞こえてくるんだよね。で、次はフランキー堺だとかさ、もうなんかあの、いまでも覚えてる、あの緞帳ごしにさ、山台にドラムセットをこう固定する金槌の音を聞いただけで脈が速くなるようなさ(笑)。

渋谷 胸がドキドキするよねぇ。

森山 で、テーマでさ、あの頃、池田操とリズムキングがMaybe You'll Be There”って曲をテーマにしてたんだよ。俺あの曲ものすごい好きでさ。タラ〜ラララ〜ラララ〜っていいながら開くじゃない? あの、あのスリルというかさ、鳥肌が立つような興奮っていうのはね、

渋谷 ビッグ・フォーはLover Man”ですよ。

森山 そう、そうね。

渋谷 シックス・ジョーズはSeptember In The Rain”かな。

森山 そうだね。それからね、シックス・レモンズはね、Fine And Dandy”って曲使ってたの。とにかくね、Maybe You Be There"はね、まだ鈴木章治がいた頃よ。だから彼がメロディー吹いてさ、タラ〜ラララ〜ッタララ〜っていいながらこんなふうに幕が上がって、あのときの鳥肌が立つような興奮、俺の17、8の頃の話(笑)。

渋谷 (笑)。わかるけど。

森山 あぁいうときのあぁいう興奮ってのはさ、音楽の中身の問題じゃなくて、やっぱり貴重な体験として残ってるよね。

渋谷 いや、もうなんともいえないですよね。ぼくは10代の頃はそういうふうにジャズ聴く機会があんまりなくてさ、テネシーなんかにはたまに行ったりしてたんだけど。

森山 もう渋やんの頃には、あんな神田共立講堂とかね、日比谷公会堂とかのジャズコンサートっていうのは、もうほとんどなかったんじゃない?

渋谷 あんまり記憶にないけど。

森山 まだあった?
 
  ジャズ・メッセンジャーズ
アート・ブレイキー(ds)率いる五重奏団。後に六重奏団。
モーニンを知らない人はいなかった。






バッキー・白方
バッキー・白方とアロハハワイアンズを率いて活躍した。One and Only的存在。追々話が出てくるはずです。
渋谷 印象に残ってるのは、ほら、サンケイホールでやった、ジャズ・メッセンジャーズがはじめてきて、日本に。

森山 あぁ、そういうふうに、向こうのミュージシャンのね。

渋谷 そう。日本のミュージシャンだけのは、…行ったことなかったね。

森山 それでね、あそこ、日大講堂になっちゃった昔の両国国技館である日ジャズコンサートやったんだよ。それで大体あの頃ね、あの頃って俺が17、8の頃よ。ジャズコンサートっていうと、そのシックスジョーズとかシックスレモンズとかさ、で、かならず東京キューバンボーイズが出てくるの。それと、なんとその両国の国技館でやったコンサート、あれ俺が高校の1年か2年の頃だと思うけどさ、突然バッキー白方がジャズコンサートの中に出てきてさ。

渋谷 出たっ! バッキー白方。

森山 だから、だってあの頃のスウィングジャーナル見りゃさ、その他の楽器のトップはバッキー白方のスチールギターだもんね。
 
 


白木秀雄(ds)

ジョージ川口と人気を二分したスター。

仲野彰(tp)
第二世代モダントランペッター。日野皓正 はその後。

小俣尚也(tp,btb)
仲野さんよりちょっと年上かも知れない。
芦田ヤスシ(ts)
その頃は中堅という感じだった。

渋谷 ぼくはね、高校2年のときかな、修学旅行に行って東京に帰ってくる日に、横浜の映画館で白木秀雄クインテットが出るっていうんで聴きに行ったんですよ。ピアノが八城さん、トランペットが、

森山 仲野さん

渋谷 小俣さん。

森山 あぁ、小俣尚也

渋谷 うん。で、テナーサックスが芦田ヤスシかな? ベースは誰だか忘れちゃったけど。アップライトピアノでさ。

森山 アップライト?

渋谷 うん、だって映画館だもん。それで、修学旅行の帰りボストンバッグ持ったまんまで。

森山 それ、渋やんがいくつのとき?

渋谷 18ぐらいじゃない?

森山 そっか。じゃぁ、いっちばん初期の白木さんのバンドじゃないかね。

渋谷 そうだよね。
 
 









栗田八郎(b)
いっしょに演奏した記憶はあまりないのによく会った記憶はある。
そのときの白木秀雄クインテットのベースは渡辺さんという人だったかも知れない。
吉葉恒雄(b)
ジョージ川口さんのグループで半年間いっしょだった。

森山 ね? その後、だから仲野彰になって、その後日野皓正になったんだからね。…あの頃、実演っていったよね、映画館で映画と映画の合間にそういう生のかぎらず、例えば、岡晴男が歌ったり、淡谷のり子が歌ったりみたいな、そういう実演と映画を交互に…

渋谷 確かね、映画もあったんだと思うよ。早い時間じゃなくて、9時とかそんな遅い時間だった。

森山 まだ、だから、栗田八郎の前でしょうな。

渋谷 あ、栗田さんかもわかんない。栗田さんかその前の人かどっちかだったと思うけど。栗田さんだったような気がするな、なんとなく。…そうなんだよなぁ、もう、いまPIT INNなんかでやってる人で栗田さんとか吉場恒雄さんと一緒にやった人はぼくくらいなもんだろうなぁ(笑)。

森山 そっか。まだ吉場さん、やってんの?

渋谷 吉場さん? いや、わからない。吉場さんは、ぼくはジョージ川口さんのところでいっしょだっただけだから。

森山 あの人、ツンちゃんっていわれてたんでしょ?

渋谷 あ、そうそう。音がトントン、

森山 要するに音がツンツンってしてるから(笑)。

 
     
 




鈴木勲(b)
その吉葉さんの前のベースが鈴木さん。いまでも大活躍。


ジョージ川口時代

渋谷
 いや、その前はなんとオマスズさんなんですよね。

森山
 あ、なに、ジョージさんとこで?

渋谷 うん、ぼくが入ったときはオマスズさんで、オマスズさんこなくなって吉場さんがくるようになって。で、ぼくがやめるときまで吉場さんだった。吉場さんはリズム・エースだかどっかにいて、…リズム・エースじゃなかったかな?

森山 いや、吉場恒雄って人は、ぼくがだからその、高校生の時代にさ、いまいったように、ジャズコンサート行って、どっかのバンドでやってた人なんだよ。リズム・キングだったかも知れない。

渋谷 スイングのバンド、あっちこっちやってるんですよね。

森山 俺がナマで一番最初にジョージ川口さんを聴いたのは中学生のときで、そのときはコンデさんのタイコだったのね。

渋谷 誰が?

森山 ジョージさん。

渋谷 あ、ジョージさん。

森山 うん。で、すぐもう自分のバンド作ってさ。ビッグ・フォー? 小野満や中村八大。

渋谷 ジョージさんはね、小野満がお気に入りだったらしいんですよね。

森山 
あの頃ねぇ、でも、他のドラマーが、つまりフランキーさんもそうだったんだけど、全部もちろんベースドラム一個なんだよね。だけど、ジョージさんだけツイン・ベースでさ(笑)。

渋谷 ジョージさんのバンド、ステージでやると大体最後の曲は、
 
  ドラムブギ
ジーン・クルーパ(ds)の十八番。

森山 ドラムブギ"

渋谷 そう、ドラムブギ”。で、やるじゃないですか。で、一応テーマやってアドリブやってドラムソロになるじゃないですか。あ、違うんだ。ドラムブギ”の場合はね、テーマやってアドリブやってまたテーマやっちゃうの。で、テーマ終わった後にドラムソロやるの。それで最後はジャーンって一発で終わるんですよ。だからジョージさんのドラムソロになるとみんなステージの袖の方に引っ込んでる。で、ジョージさんがいろいろやって、最後はそのツインベースで、ダダダダダダダ、ドコドコドコドコってやるわけでしょ。それが合図みたいなもんで、出て行ってジャーンとやるんだけど、いつもいじめられてるもんだから、みんなで、もうあれやっても今日は出て行かないようにしようって(笑)。

森山 (笑)。

渋谷 延々とやらしちゃったりなんかして(笑)。

森山 (笑)。

渋谷 ジョージさん、おっかしいのはね、そういうときあんまり怒らないんですよね。なんだ、参ったよ”なんていうぐらいで。あれがまたおっかしなとこなんだよね(笑)。

森山 俺はあの、オリジナルのジーン・クルーパーのドラムブギ"をさ、SPで穴の空くほど聴いた世代だからね。チャーリー・ベンチュラか。えっと、そうだな。で、あれ、後年俺がだからもっとジャズをいろいろ多角的に聴くようになったときに、俺が高校時代に聴いたドラムソロで、いま渋やんいった通りドラムソロがはじまるとみんなこうステージから降りてさ。あれはもう小節数とかコーラス数とかってきちっとサイズが、普通はワンコーラスだけで終わるとかツーコーラスドラムっていったらさ、32×1とか2で、そんなの無関係でやってたんじゃないかなって。

渋谷 無関係ですよ。

森山 でしょ? で、とにかくドラムソロの終わりっていうのは、こうやってて、最後にこうシンバルをさ、こうやりだすともうミュージシャンが出てくるっていうね、記憶があったの。

渋谷 あれは長さフリーだから。…いや、もう40年も前の話なんだけどそんなに昔とは思えないね。つい最近のことみたいに思うけど。

森山 あ、40年経ってるの。

渋谷 だってジョージさんとこ入ったの23か4だから、

森山 あ、そっか。それで最初のベースがオマさん?

渋谷 そう。だからオマさん、ぼくより上なんですよ。でさ、オマスズさん、ぼくが入るまでは一番若かったじゃないですか、メンバーの中で。で、いつもジョージさんにいじめられてるから、若いのが入ったらいじめられ役はそっちに行くと思ってたら、ジョージさんは新人にすぐやめてもらっちゃ困る、と思ったのかどうかわからないけど、結構かわいがってくれて、相変わらずオマスズさんいじめるもんだから頭にきちゃって、ある日突然こなくなっちゃた。あ、これ、ぼくの想像ですよ。

森山 例えば、どういうイビリ方すんの?

渋谷 やっぱり、

森山 音楽上の話はないはずだから。

渋谷 いや、音楽上なんだよ、それが。

森山 あ、そう。ああいうときにあんな音とるなとか、そういう、

渋谷 そんな細かいことは…。あのね、一曲終わって安心してると、突如チンチキチンチキ…ってはじまって、おい、ベース早くやって!”なんて。えっ?”なんでもいいから早くやれよ!”なんて(笑)。…音楽上の話じゃないか。

森山 じゃ、キーもなにもわかんないで(笑)。

 
  林鉄雄(tp) 渋谷 そう。いや、宮澤さんと林さんはベテランだからさ、別にそういうのにはびっくりしない。笑ってるんだけど。

森山 そうそう、林鉄雄さんって人いたなぁ、トランペッターでね。小柄な人だった記憶があるけど。

渋谷 林さん、なつかしいなぁ。

 
(12)  2004/11/21 up
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